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7799.佐渡汽船カーフェリーの軌跡・第1回~自動車輸送時代の幕開け!日本海初のカーフェリーさど丸登場

今回より弊ブログ初の連載記事が始まります。題して・・!
佐渡汽船カーフェリーの軌跡~さど丸からあかねまで~

この記事を書くきっかけとなったのは、やはり私の母の実家が佐渡島にあることが一番大きいです。私が小さかった頃は毎年佐渡汽船で帰省しておりましたので、気づいたら佐渡汽船カーフェリー全船舶の名前を言えるようになっておりました。しかし最近は親が高齢なのと実家側の事情の変化などもありまして、毎年の帰省では無くなってしまいました。

でも佐渡汽船への想いは今でも変わらず、SNSなどでも船の動向をチェックしていたりします。
あとは船のブログ記事を書いてる人は多分少ないでしょうから、弊ブログだけしか出せない雰囲気も出しやすいような気もしたのもありますね。
冒頭では連載と申し上げましたが、管理人の都合で曜日固定では無く不定期な連載とさせて頂く点及び資料が少ない昔の船の話につき、曖昧な内容になってしまう点はどうかご容赦くださいませ。

今回は第1回として・・
自動車輸送時代の幕開け!日本海初のカーフェリーさど丸登場
なるタイトルでお届けしたいと思います。
それでは本編はここから。
↓↓↓↓↓↓↓↓
佐渡汽船とは本州と佐渡島を結ぶ船の名前です。佐渡島での殆どの物資を佐渡汽船で運んでいるとも言われ、船が佐渡島民の生活を支えています。

佐渡汽船と聞くと多分車を搭載出来るカーフェリーや、高速で走るジェットフォイルのイメージかもしれませんが、最初からこれらの船があった訳ではありません。

佐渡汽船にカーフェリーが誕生したのは昭和42年3月。それは日本海側では最初のカーフェリーとも言われた船だったらしいです。その名もさど丸。佐渡島の名前をそのまま船の名前にしたシンプルな名前の船でした。船舶の写真は可能な範囲で管理人の手持ちの物で公開しますが、無い場合はすみませんが、佐渡汽船ときわ丸船内にあった写真パネルの画像で代用させて頂きます。

▼さど丸
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定員も速度も今の船の半分以下のスペックです。この船は確か先頭部分にハッチが無かったような記憶です。幼い頃に新潟港だったか、バックでカーフェリーに乗り込んでいく車の姿を沢山見かけたような記憶ですが、その時に見た船がさど丸だったかは記憶が定かではありません。

定員が573名とありますが、写真を見る限りでは客室がかなり限られているかのように思えます。多分2等だけのモノクラスかと?売店も船内にあったのかもわかりません。

ここでこの後の佐渡汽船記事をお読み頂くにあたって、佐渡汽船の船室の等級についての説明です。これは鉄道の寝台特急北斗星号で言うB寝台やA寝台個室ロイヤルみたいな区分と思って頂ければわかりやすいと思います。

2等絨毯席:絨毯敷きだけの船室。混雑時は横になれない。
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2等椅子席:リクライニング機能無しの椅子席が並ぶ船室。無い船舶も有り。
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特別2等絨毯席:2等の座席指定版。現在は設定無し。
1等絨毯席:枕と毛布がある船室で座席指定。
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1等椅子席:新幹線グリーン車並みかそれ以上のリクライニングシートがある船室。
201903260002178ed.jpeg
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特等:ビジネスホテルのツインルーム並みの広さの個室船室。
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スイートルーム:船体最上階にあり、船内で1室だけの設定。応接とツインベッドに専用バルコニーまである超豪華個室船室。

以上になります。さど丸が晩年を過ごした時代の寺泊赤泊航路の運賃表が確か2等だけだったような記憶です。さど丸も最初は新潟両津航路だったのかもしれませんが、如何せん古い船なので情報や資料が無さすぎて、その記録を確認できるものはありません。

あと新潟~赤泊航路もありましたが、こちらにもさど丸が使われていたのかもしれません。それは多分新潟港のカーフェリー対応の桟橋が3か所あったのを活用した形なのかもしれませんが、この航路も既に廃止になっています。赤泊だと他の佐渡汽船が発着する両津や小木からだと距離がある上、細くて勾配がある山道を長々と走らねばならないので、船で直接向かえるアドバンテージは大きかったのではないかと思われますが、仕方はありません。

さど丸は寺泊赤泊航路で平成4年で引退し、後継の三代目えっさ丸に同航路を引き継ぎました。

▼三代目えっさ丸
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この船は寺泊赤泊航路にしか使われてなかったらしく、佐渡汽船の経営悪化に伴う船舶の小型化の波で不運にも13年目で佐渡汽船を去り、鹿児島交通に引き取られて「ぶーけんびりあ」なる名前で鹿児島近辺の離島航路で再起を果たしています。しかしこちらでも出番を追われ、たった6年でインドネシアに売却された模様です。

さらに驚いたことにえっさ丸に佐渡汽船を追い出されたさど丸は、現在でもインドネシアあたりで現役で動いているような未確認情報もあるようです。私も何処かの掲示板でさど丸によく似た風貌の船の写真を見た時は鳥肌が立ちました。

これらの船が活躍していた寺泊赤泊航路は残念なことに2019年5月付けで廃止が決定してしまい、船舶だけで無く航路そのものも消滅してしまうことになります。


次回は「第2回:国鉄列車・夜行バスで行く佐渡の旅」でお送りします。
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スカイツリーと乗り物が好きなアラフィフに片足突っ込んだオッサンのブログです。

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