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7543.東武1800系1819Fの軌跡

東武1800系1819Fが5月20日にラストランを迎え、残る運転は渡瀬駅留置線への廃車回送のみとなりました。簡単ではありますが、今回は写真を通して1819Fの歴史について少し触れたいと思います。
1819Fは1987年に登場し、急行りょうもう号に投入されました。1987年製にしては古いデザインのままで新車として登場したので、最初見た時は従来車の更新修繕車かと勘違いしたぐらいでした。
▼01.1998年3月31日までりょうもう号だった。

急行りょうもう号での活躍は11年で終わり、200系に置き換えられる形で波動用列車に転用されました。その時点での所属はまだ館林区のままでした。そもそも館林方での臨時列車の設定が少ないのもあり、りょうもう運用撤退後の館林区時代の1819Fの乗車チャンスはかなり少なかった記憶です。
▼02.波動用に転用され、ヘッドマークが団体専用に。
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波動用となった1819Fは2003年に住み慣れた館林支所から、春日部支所に転属となりました。さらに2007年のゴールデンウィークから日光線への臨時列車に投入されました。それから臨時列車への投入が増えたのは、春日部から日光線への臨時列車に入れやすくなったからなのが大きいと思われます。
変わった臨時列車にも充てられた事もあり、隅田川花火号なる臨時列車も担当しました。それは東武動物公園発浅草行きで、確か快速停車駅にせんげん台を加えたものと記憶してます。まず春日部支所から動物公園への送り込みで運転され、恐らく1800系で初めてせんげん台に停車した列車ともなりました。
スカイツリー開業後はスカイツリー発春日部行きの臨時列車にも入り、急行停車駅から西新井・草加を省略した停車駅と記憶してます。それは恐らく新越谷に初めて停車した1800系とも言えます。
▼03.隅田川花火号にも投入された。
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1819Fによる日光線の臨時列車は年によって運転区間が異なるので、如何に当時の試行錯誤が多々あったのかが垣間見られます。
01.浅草~東武日光
02.北千住~東武日光
03.春日部~東武日光
04.東武動物公園~東武日光
05.南栗橋~東武日光
下りは一律東武日光行きで、私が知る範囲では鬼怒川線への設定はありませんでした。特に01は東京スカイツリー開業後は上り列車で多く設定されていました。スカイツリー開業前は北千住止まりの設定も多かったので、稀に浅草まで入線する事が分かった時は騒ぎになったものです。
02は北千住2番線発車で、簡単な乗車位置も記されました。優等車両の風貌なのに特急ホームじゃない場所からの発車は違和感を感じたものです。
03は定期快速と春日部で並ぶので、定期快速で座れなかった客が1819Fに乗り移る光景も見られました。さらに先行している定期快速を下今市で抜くので、臨時の大垣夜行のようでもありました。
04は春日部支所移管後の設定で出庫して下り線からそのまま動物公園のホームに流し込める運用ですから、ある意味一番素直な臨時列車なのかもしれません。
05は去年までの運転区間で、南栗橋運用分断後の状態です。この時代あたりから上りが浅草行きでなく南栗橋打ち切りとなっています。
これらの臨時列車はイマイチ告知不足なのか、乗車率が振るわなかった列車も多々ありました。しかし快速廃止後のゴールデンウィークの臨時列車は通路まで人で埋まる程の大混雑となり、乗降に時間がかかりました。
▼04.2007年4月より日光線の臨時列車として起用。
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稀に特急の代走にも充てられ、特急料金無しで解放された事もあります。かつての5700系と似た立ち位置のような車両でした。
▼05.日光線臨時列車の時はマーク無しの時期も。
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東武本線系初の定例イベントとなる東武ファンフェスタでは、マスコット的な存在ともなりました。何度か東武ファンフェスタ号として運転された実績はありますが、ツアー形式での運転もあれば、乗車券さえあれば誰でも乗車出来る運転だったりと、その活躍ぶりは万能でもありました。
しかし近年のファンフェスタ号は1819F以外の車両が充てられる事が多くなり、1819Fは撮影会場での展示のみになってしまいがちでした。
▼06.第1回東武ファンフェスタの目玉として登場。
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このリバイバルりょうもう号、確か太田から館林に戻る時は小泉線経由だったんですよね。よくミステリー列車にも投入されてました。
▼07.ファンフェスタ号ではリバイバルりょうもう号も。
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野田線大宮ではJRの線路を走るスペーシアと同時発車となり、北大宮まで東武車両同士が並走したんですよね。
▼08.野田線走行、少なくとも2回実績あり。
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晩年の1819Fは南栗橋本区への所属になりました。初の野田線入線は柏から大宮周りの春日部で、南栗橋に向かったミステリー列車でした。最後の野田線入線はまさかの運河発佐野行きの臨時列車でした。
▼10.2018年5月20日、遂にラストランを迎えた。
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ラストランとなった1819Fは、ミステリー形式で運転されました。その経路は東武動物公園→赤城→太田→伊勢崎→浅草で、最後にふさわしくかつてのりょうもう号の車両らしかったものでした。浅草からは南栗橋本区に回送され、本区内で廃車回送を待つのみとなりました。
いよいよ1800系が本線上から完全に姿を消します。保存車両が1両でも出る事を願わずにはいられません。解体されても、この伝説は永遠に語り継がれていく事でしょう。
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No title

りょうもうが4両編成のことからよく見てました
6両になってもいつもいつも満席で、すごいなぁと思ってました
北千住や久喜なんて止まらなくても満席
今と大違いですね
200系の次の世代はどんな苦労が待っているのでようね
昔のA準急の停車駅を有料列車で快適に速く、20分ヘッドくらいで走ってくれたらなと思ったり
高速道路+バス+地方の高齢化 は手ごわいですね

Dr.K様へ

コメントありがとうございます。4両時代は生まれていたものの、見た記憶は無いんですよね。浅草を出たら館林までノンストップだったのが信じられないぐらいの状態になってますし。朝の上りやつつじ祭りの時に満席になるぐらいですかね?
佐野方面は高速バスがありますし、新幹線本庄早稲田駅も出来ました。りょうもうを取り巻く環境は変わりましたが、仮にリバティに置き換わっても健闘してもらいたいものです。
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